死んだ母親に会いたい

2017年8月、母が59歳で他界しました。もうすぐ100日になります。乳癌からの脳・骨髄転移でした。心の底からよい母親と言えないけれども、母親の死とはこんなにもこたえるのか。

以前別記事でも書きましたが、私が就職をして家を出るまで私にとっては良い母親ではありませんでした。母は教師で、自分の子どもへの期待が周囲に比べてかなり高く、母の期待ハードルを越えなければ決して褒めてはもらえませんでした。母の教え子の中でも特にできる子と比べられ、「そんなの知らんがな・・・」といつも思いながらも直接言うとまた叱られるので、心に留めたまま叱られ続ける日々。大学のサークルでのイベント準備に明け暮れている時も、「遊びでしょ」と理解を示さず。

でも、就職して家を出て、結婚し孫ができてからは、とてもよいおばあちゃんになりました。子育ての過ちを振り返っている様子はありませんでしたが、孫大好きで、絵本もたくさん読み聞かせしてくれたし色々な遊びもしてくれました。私も、子育てのサポートを受けられるし愚痴も聞いてもらえるしで(母から父に対する愚痴を聞くことの方が多かったですが)、楽しく生活していました。

でも私が高校の時に末期に近い中期の状態での乳癌が発見され、その約7年後に脳への転移(脳腫瘍)が発覚、約2年後には脊髄への転移、その約3年後に脊髄の癌の影響で下半身麻痺。車椅子生活が始まり1年半後には意識が朦朧となりはじめ、寝たきりに。寝たきりになってから約4か月で息を引き取りました。

 

もうすぐ100日。でもまだ母がもういないなんて信じられません。

いつも笑顔で孫に手を振り、自転車を1時間こいで孫に会いに来ては父に対する愚痴を言いながら私の愚痴も聞いてくれたり。

今更になって私の夢も応援してくれたり。

自分が幼少期の頃の母に会いたいとは思わないけれど、大人になった時の母に会いたいと思う。心のどこかで、実はまだいるんじゃないかと思ってしまっている自分がいます。会いたいなあ。会って聞いてもらいたい話がたくさんある。きっと母の愚痴を聞く時間の方が長くなりそうだけど。

 

子どもが小さいので、母の死とちゃんと向き合っている時間が全くないからそんなこと思うのかもしれません。母が死んでも子どもはお腹を空かせるし、洗濯物は溜まるし。夫の仕事は忙しいし。いまだにアルバムをめくりながら思い出にふける時間もなく。携帯に残った母の伝言を何度も再生して感傷に浸るのが精一杯。

先日、息子の七五三をしました。母も見たかっただろうなあ。

母のことを考えない日はありません。逆に、死んだのが父親だったらこんなにもダメージはなかったのかもしれない。今は丸くなった父も昔はクソがつくほどの毒親でした。今も顔色をうかがわずにはいられないほど。

母に会いたい。あの世とか全く気にしたことはなかったけれど、あの世があってほしいと思う。そうすれば自分が死んだときに会えるから。

 

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某シンクタンクでフルタイム総合職のmajikoです。 2013年に長男、2016年に長女を出産。日々時間に追われるワーママですが、子どもの教育も、自分の人生も諦めたくない!と欲張りに生きています。 共働きワーママならではの視点からのブログです。少しでもお役立ちできれば。